私はチームを持たないできました。
それで良かったと思えるところがあります。
それは・・・
いろいろな年齢やカテゴリーのプレーヤーを見ることができたから・・・
チームを持つと
目の前の選手・対象となるプレーヤーのカテゴリーの範囲で物事を考えることが多くなるのではないでしょうか?
いろいろな年齢やカテゴリーに目を向けると・・・
また同じカテゴリーや同じチームでもそれまでの経験の違いから見えてくる「差」に気付いたり・・・
同じ初心者でも小学生と中学生・高校生では
体力的なこと、理解できる範囲、社会的な認識等に違いがあり
アプローチの仕方が変わってきたりするように思います。
その中で
具体的な「方法」を求めがちになりますが・・・
「その違いは何?」
「その人たちの特徴は何?」
などなど・・・
思いを巡らせることによって・・・
<どんな力が必要なのか?>・・・スキル・戦術理解・フィジカル・メンタル・・・
ただ目の前の実態に対しての「方法」を講じるより・・・
いろいろな側面に対しての「幅」に眼を向け
その違いを知る・・・
その違いを感じてみる・・・ことで
目の前の対象(プレーヤー・チーム)に有効な手段が
考えられるのではないでしょうか?
どこからか見つけたドリルであってもそれは全然OKだと思います。
でも
本当に目の前の選手に合っているかの吟味と・・・
合うように・・・
それがその後にどう繋がるか?まで・・・
頭をひねって具現化することが・・・
指導する側には必要ではないかと思うのです。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
バレーボールに関わる人たちが、ステキに輝きながら成長していけるよう祈っています。 バレーボールについて様々な発想・視点を持つことは非常に重要です。ここではいろいろな角度からバレーボールに関して執筆しています。 あなたが知りたかったポイントや気づきを見つけられるかも知れません。 具体的なHOW TOの活動は必要ですが、見方や考え方を広げ、深めることはさらに大切な視点と言えます。 少しでもバレーボールを愛する人たちのお役に立てれば幸いです。
2014年4月12日土曜日
2014年4月10日木曜日
選手たちの気持ち(意識)を「見る!」 〜私の過去に照らしつつ〜
練習・講習会や試合・・・
いろいろな場面に選手たちはバレーボールに取り組み向かい合っていますが・・・
選手たちがどのような気持ち(意識や感覚)で日々の練習をしているか?
考えたことありますか?
頑張って当たり前・・・
言われるようにして当たり前・・・
とか言うこととは違うような気がするのです。
例えば、パスをする時・・・何を意識しているんでしょう?
レシーブは? アタックは?
さらに・・・
順番を待っているような時間では??
これまでの「お決まりの練習」では余りにも<流れてしまっている気持ち・意識>が本当に多くあったとつくずく思う今です。
ゲームで力を発揮するために・・・
今何をしているのか?
何を意識してする?
どこを目指している?
では、どうするの?・・・・・などなど・・・
また
自分がプレーをするのが2.3分で、待つのが10分とか・・・
その間何を考えてる?「考えろ!!」って言われてもなかなかできないですよね。
先日書いた「意識のポイント」や「テンポのある練習」への
提供側の「意識」や「視点」等の捉え方で大きく変わってくるのではと思います。
以上のことはすでに言われてきていることでもあります。
「カタチ」だけでなく・・・
選手たちの「気持ちや意識のある様子」をとらえ・・・
そこからどのようにしたら成長していけるかの具体的な方法を改めて作っていくという姿勢が求められているのではないでしょうか?
実はこのことはバレーボールやスポーツに限らずだと。
私も教師をしていました。
特別支援学校で・・・
教育課程というのが未だに流動的で・・・カタチは目の前の生徒たちの障がいや発達、また個々の背景的なことに至るまでの「状況・実態」をとらえて具体的な教育内容を作成し提供していく・・・というものでした。
中には今日まで積み上げられた教育内容の「カタチ」を「一般的な捉えの範囲」で実践する人もありますが・・・
ちょっと過去を振り返りましたが・・・
バレーボールも「やっている目の前の選手の実態(心・技・体)」全部見ていて、その都度修正するという
大きな目線を持って日々<選手と対峙する>ことが不可欠だと。
この1年、私自身の子ども・選手を見る眼も精査しつつ歩んできたところもあります。
今やはりこの視点は大切にしていこうと改めて思っているところです。
少し自分の感覚的なところもあるのでまたご意見を頂ければ嬉しいです。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
いろいろな場面に選手たちはバレーボールに取り組み向かい合っていますが・・・
選手たちがどのような気持ち(意識や感覚)で日々の練習をしているか?
考えたことありますか?
頑張って当たり前・・・
言われるようにして当たり前・・・
とか言うこととは違うような気がするのです。
例えば、パスをする時・・・何を意識しているんでしょう?
レシーブは? アタックは?
さらに・・・
順番を待っているような時間では??
これまでの「お決まりの練習」では余りにも<流れてしまっている気持ち・意識>が本当に多くあったとつくずく思う今です。
ゲームで力を発揮するために・・・
今何をしているのか?
何を意識してする?
どこを目指している?
では、どうするの?・・・・・などなど・・・
また
自分がプレーをするのが2.3分で、待つのが10分とか・・・
その間何を考えてる?「考えろ!!」って言われてもなかなかできないですよね。
先日書いた「意識のポイント」や「テンポのある練習」への
提供側の「意識」や「視点」等の捉え方で大きく変わってくるのではと思います。
以上のことはすでに言われてきていることでもあります。
「カタチ」だけでなく・・・
選手たちの「気持ちや意識のある様子」をとらえ・・・
そこからどのようにしたら成長していけるかの具体的な方法を改めて作っていくという姿勢が求められているのではないでしょうか?
実はこのことはバレーボールやスポーツに限らずだと。
私も教師をしていました。
特別支援学校で・・・
教育課程というのが未だに流動的で・・・カタチは目の前の生徒たちの障がいや発達、また個々の背景的なことに至るまでの「状況・実態」をとらえて具体的な教育内容を作成し提供していく・・・というものでした。
中には今日まで積み上げられた教育内容の「カタチ」を「一般的な捉えの範囲」で実践する人もありますが・・・
ちょっと過去を振り返りましたが・・・
バレーボールも「やっている目の前の選手の実態(心・技・体)」全部見ていて、その都度修正するという
大きな目線を持って日々<選手と対峙する>ことが不可欠だと。
この1年、私自身の子ども・選手を見る眼も精査しつつ歩んできたところもあります。
今やはりこの視点は大切にしていこうと改めて思っているところです。
少し自分の感覚的なところもあるのでまたご意見を頂ければ嬉しいです。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
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