私事ではありますが・・・
私にもまだこの年齢になってからも
「夢」があり
そこに向かう「目標」があり
今・・・
実現に近づいてきていると感じてきています。
私のこの数年の感覚的なことからですが・・・
「目標」について思うことを今日は綴っていきたいと思います。
バレーボールに限らず、何かに向かう時、達成したい方向に立ったときなどに
「目標設定」は大切である!!とは、当たり前に聞く話しです。
その目標は、近くであったり遠くであったり・・・それは関係なく・・・
ただ、「目標」を立てたはいいけれど
<お題目>に終わってしまっていることも結構あるんじゃないかって・・・
いろいろなところの練習や試合を見る中で
「何を目指しているんだろう??」など・・・
時には切なく勝手になってしまうこともあります。
当然輪切りにしか見ていませんから一概には言うことではありませんが・・・
せっかく一生懸命に取り組んでいるんですから
「もったいない」ことにならずに
<成果あるもの>に繋がって欲しいと・・・
さてこの「目標」を実現につなげていくためには・・・
「絶対に見失わないで!!!」ということ!!
目標を挙げたものの、日々の中での眼の前の厳しさやネガティブな出来事・感情に振り回されてしまうこと・・・そして・・・
目の前のことをどう処理するか?どう上手くやり過ごすか?
そうしたことに気持ちが向いてしまい、具体的な行動も「目の前の対処的行動」に・・・
でも一生懸命にしていることに変わりはなく「自覚症状」もない・・・
だからいつの間にか「目標」が消えたり、すり替わっていたり・・・
いいと思うんです。
目の前に一生懸命になってしまうことも
あきらめかけることも
遠回りすることも・・・・
でも、「目標」って
『叶えようとする自分やチームの実現の到着点』だと思うんです。
目標を立てた時にみなきっと・・・例えるなら・・・
<山の頂上>を目撃すると思うんです。
そこに向かって「さあ、行くぞ!!」って
でもそこから頂上まで繋がるはずの道を見つけないで
ただ頂上だけ見て歩いてしまう・・・・
そうなっていることはないでしょうか??
目標を作って挙げたなら
その実現に向けて
「どうしたらそこにたどり着けるのか?」の具体的計画を立てて
「今は何をするべきなのか?」を日々行動していくんじゃないかと・・・
いろいろなことで揺れたりしてしまった後や苦しいときでも・・・
「この目標のためにやっている!!」
「だから譲らない!!」
自分やチームに対して問いかける機会を時々持てたなら・・・
きっとさらに
『今』を愛おしく思え
頂上に向かう道のりも少しずつはっきり見え出すのではないかな?と思うのでした。
私もまだ自分の夢・目標の実現には至っていません・・・。
でも
「絶対に譲らず『今』に日々をかけようと思っています・・・。
結果は??
その時が来たら分かるだけですから〜〜〜(笑)
最後まで読んで下さりありがとうございました。
バレーボールに関わる人たちが、ステキに輝きながら成長していけるよう祈っています。 バレーボールについて様々な発想・視点を持つことは非常に重要です。ここではいろいろな角度からバレーボールに関して執筆しています。 あなたが知りたかったポイントや気づきを見つけられるかも知れません。 具体的なHOW TOの活動は必要ですが、見方や考え方を広げ、深めることはさらに大切な視点と言えます。 少しでもバレーボールを愛する人たちのお役に立てれば幸いです。
2014年2月24日月曜日
2014年2月20日木曜日
感性を磨け!!
今回は少し表現が難しいのですが
自分の中では大切にしたいことだと思っていますので書いてみることにしました。
例えば
誰かが言ったことを
「その人が言うから」と全面的に受け止めてしまったり、逆だったり・・・
また
理論ばかりが頭に入ってしまって実際やってみるとしっくりこないとか・・・
どこかの「切り口」だけのことを全体のように信じていたりとか・・・
けっこうこういうことって日常の中でも知らぬ間にやっているんですよね。
で、バレーボールのことに関して言えば・・・
「誰々が言っていること」が「正しい」になっていたり・・・
講習会とかで聞いたことが自分の多くを占めてしまったり・・・
スゴいと思ったプレーをした選手のあらゆるプレーが基準になってしまったり・・・
いつの間にか「自分」ではなくて「誰か」「外のこと」が元になってしまう・・・
そうするとアウトプットする時に
(指導者なら選手に提供する・選手はプレーする)
自分の判断基準ではなくなっていて
コーチなら「押しつけ」になったり
プレーヤーなら「形」になったり
また
誰かの言っていることが基準の「当てはめ的」な「言い分」になったり・・・
そんなこんながあちこちにあるように感じたりするのです。
というか、自分自身特に気をつけるようにしているところであるんです。
いろいろな考えや見方、具現化した形は
人それぞれの切り口で違って当然と思います。
でもそれを見聞きした時に
必ず
「自分のフィルターを通す」必要があると思うんです。
そのことを
自分は「どう感じるか?」から始まって
「中身をどう解釈できるか?・咀嚼できるか?」って。
そして
それらを取り込もうとした時に
「どう表現・具体化できるか?」のフィーリングが
私は大切にしたいと思っています。
いろいろなところで見聞きするバレーボールに関する情報に対して・・・
一度自分をフラットにしてみて
自分が取り込んでいくようなことを感じるアンテナ・・・
これが
「感性」なのかな?って思っています。
おそらくどこかで
「違和感」を感じることや
逆に「共感」を感じることがあると思います。
そこが自分の出発地点であって
その感覚に
「理論や行動」がくっついてきたら
自分のものになっていくように感じています。
プレーをするにしても
やっている中で「感じる感覚」みたいなものはないでしょうか?
観戦でもフラットな感覚で見ると違ったものが見えてきたりしませんか?
人と話すときも「感じるところを持つと「そういう考え」「そうかあ」が増えたり・・・
そうしていったら
かなりオモシロイと思うんですが・・・
どうでしょう??
毎度まとまりのないことで・・・お粗末でした。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
自分の中では大切にしたいことだと思っていますので書いてみることにしました。
例えば
誰かが言ったことを
「その人が言うから」と全面的に受け止めてしまったり、逆だったり・・・
また
理論ばかりが頭に入ってしまって実際やってみるとしっくりこないとか・・・
どこかの「切り口」だけのことを全体のように信じていたりとか・・・
けっこうこういうことって日常の中でも知らぬ間にやっているんですよね。
で、バレーボールのことに関して言えば・・・
「誰々が言っていること」が「正しい」になっていたり・・・
講習会とかで聞いたことが自分の多くを占めてしまったり・・・
スゴいと思ったプレーをした選手のあらゆるプレーが基準になってしまったり・・・
いつの間にか「自分」ではなくて「誰か」「外のこと」が元になってしまう・・・
そうするとアウトプットする時に
(指導者なら選手に提供する・選手はプレーする)
自分の判断基準ではなくなっていて
コーチなら「押しつけ」になったり
プレーヤーなら「形」になったり
また
誰かの言っていることが基準の「当てはめ的」な「言い分」になったり・・・
そんなこんながあちこちにあるように感じたりするのです。
というか、自分自身特に気をつけるようにしているところであるんです。
いろいろな考えや見方、具現化した形は
人それぞれの切り口で違って当然と思います。
でもそれを見聞きした時に
必ず
「自分のフィルターを通す」必要があると思うんです。
そのことを
自分は「どう感じるか?」から始まって
「中身をどう解釈できるか?・咀嚼できるか?」って。
そして
それらを取り込もうとした時に
「どう表現・具体化できるか?」のフィーリングが
私は大切にしたいと思っています。
いろいろなところで見聞きするバレーボールに関する情報に対して・・・
一度自分をフラットにしてみて
自分が取り込んでいくようなことを感じるアンテナ・・・
これが
「感性」なのかな?って思っています。
おそらくどこかで
「違和感」を感じることや
逆に「共感」を感じることがあると思います。
そこが自分の出発地点であって
その感覚に
「理論や行動」がくっついてきたら
自分のものになっていくように感じています。
プレーをするにしても
やっている中で「感じる感覚」みたいなものはないでしょうか?
観戦でもフラットな感覚で見ると違ったものが見えてきたりしませんか?
人と話すときも「感じるところを持つと「そういう考え」「そうかあ」が増えたり・・・
そうしていったら
かなりオモシロイと思うんですが・・・
どうでしょう??
毎度まとまりのないことで・・・お粗末でした。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
登録:
投稿 (Atom)